デジタルえほん

2013.05.16
タブレットからはみ出す表現の開拓に期待

デジタルえほんアワードインタビューシリーズVol.3

「タブレットからはみ出す表現の開拓に期待」

 デジタルハリウッド大学学長杉山知之氏。1994年のデジタルハリウッド大学開校以来、映像、アニメ、CG、ウェブ、グラフィックデザインなど様々な分野で活躍するクリエイターを50000人輩出して来た。カバンには一眼レフ、学長室にはギター。表現者として、教育者としてデジタルえほんという新しい表現領域をどう捉えているのか伺った。

 2回のデジタルえほんアワード審査会に審査員として参加され、2つの方向性があったと振り返る。1つは、これまでにはないまったく新しいことをやろうとしている人たち。もう1つは従来の「絵本」という枠をしっかりと守りながら、それにデジタルの良さを追加してくる人たち。「どちらが良い悪いということではなく、それぞれに特徴があります。しばらくはそういう2つの方向が続いて行くのではないでしょうか。」と語る。大事なことは、こういうものがデジタルえほんであると決めないことだという。「デジタルえほんというのは、新しいメディアです。今はチャレンジの時期。色々な人が挑戦し、色々な作品が生まれてくることが重要です。」

 新しいメディアたるデジタルえほんをつくるにあたり必要な発想は、「デジタルはなんでもつなげられる」ということだという。「これまでは本が与えられたら本の中で何ができるのかを考えてきました。しかし、デジタルはどことでもつながるというのが特徴です。タブレットのディスプレイを見て、この中でなにができるかだけを考えてほしくない。そこからはみ出す表現を開拓して欲しいのです。」タブレットからテレビとつながってもいい。友だちのスマートフォンとつながってもいい。紙の絵本とつながってもいい。自分が今いる現実の場所とつながってもいい。なんでもつながることを知った上で、そのどこをどう使って作品をまとめるかというプロデュース力が必要となる。学生にも、どう俯瞰してつなげるか、どう組み合わせるのかということを教えているという。「これまでのように、CGが作れる、ウェブが作れるということで評価されるデジタルの時代はもう終わりました。それは当たり前のように学ばなくてはいけない基礎であり、その上で横にどうつなげて、どう新しい世界をつくっていくのかという力が求められています。」

 作品のプロセスも今後大きく変わっていく。デジタルの「つながる」力を使うことで、世界中の人と一緒に制作ができ、世界中の人に届けることができる。素敵なアイデアさえあれば、誰かがなんとかしてくれる。「出来るか出来ないかを気にせず企画を書いて欲しいと願っています。子どもたちのためにこんなものがあったらいいなという夢の企画を。」
企画を考える主体は子どもかもしれない。実際、今年は、小学生/中学生からの応募もあった。「もう少ししたら幼稚園の子でも自分で絵本をつくれるようなツールが出てくるのではないかと思います。」。子どもたちも読み聞かせてもらう側から絵本を作る側にまわることができる。

 これからは、自分と世界の残り90億人が対峙する感覚で物事を見ることが重要だ。子どもたちにも、自分のアイデアで世界の人とつながれる、ということを実感してもらいたい。
教育の中身も考え直さないといけない時期にきているということだ。インターネットには、世界のあらゆる知識が集まっている。そのような環境は、これまでの教育体系にはなかった。教育の権威は知が集積している図書館だった。そして、大学に入学することは図書館にアクセスする権利を手にする事を意味した。しかし、いまは誰でもが簡単に知識にアクセスできる。環境が変わったのだ。人間は、生き延びるためには、環境に適応しなくてはいけない。大人の役割は、この変化した環境で、どうやって子どもたちを育てて行くのかを考えることだ。

 デジハリではどういう教育がなされていて、学生はどういう日常を送っているのか。
「教科書を持っている姿を見たことがない。」と杉山学長は笑う。教科書を開いた姿を見たことがないというのだ。全員ノートパソコンを持って、何かを打ち込んでいる。学生の中には、パソコンを触ったことがない学生もいる。デジタルに触れたことがないということではない。ケータイ、スマートフォンで育ってきたのだ。板書は、写メでとる学生が増えたが、その行為は無駄。教員が授業の資料はデータで学生に送っている。授業ごとにフェイスブックのページが立ち上がり、そこでは授業時間外でも質問が飛び交う。教授会で目下議論になっていることは、「あまりにもたくさんのソーシャルサービスを授業で活用しているので、1つに統一した方がいいのではないか?」ということ。しかし、「こういう時期だから、乱立していろいろなサービスを使うのでいい」とひとまずの結論をだしたという。学校のサイト「デジキャン」にいくと、補講情報や資料などが見られる。学生はパソコンでデジキャンにアクセスしながら、ケータイから友だちに情報を送っている。
 授業は、学生が能動的に関わることができるような設計にしている。たとえば、「事前にパワーポイント十枚を読んで来るように」と宿題を出す。授業は、グループで議論をし、発表をする場となっている。生徒は生き生きと課題に取組む。大学に来るのが楽しいと語る学生がほとんどだという。

 杉山学長のフェイスブックでは、学生の半数以上と「友達」だ。学部一年生の書き込みを見て、「18のくせに居酒屋にいくな、酒飲むな」と書き込む。もちろん、面白い作品を見つければ、批評もする。昔だったら学長にみてもらう機会はそうそうない。同時に、学長もキラリと光る才能と卒業まで出会わないままのこともあった。いまは一瞬で伝えられる。いつも持ち歩いている一眼レフで、学生の写真をアップする。すると保護者から「うちの子かわいく撮ってくれてありがとう」とコメントが入る。子どもの日常を学長が見てくれている。保護者からの信頼が上がるのは言うまでもない。

 入試の基準も特徴的だ。面接でみているのは1点。「デジハリがこの子の夢の実現に役に立てるかどうか。役に立てると判断できたら合格です。」人間は本気になって取り組んだ時の爆発力はすごい。そういう学生をたくさん見て来たからこそ、高校生までにやってきたことでは判断しないという。「本気」になった時に、学ぶスピードもデジタルが飛躍的に縮めてくれた。
毎年苦労していることは、新入生に「君たちは自由なのだ」ということを伝えることだ。「それまでは先生や親の言われる通りに生きて来た子が多い。」という。高校までは多様性に関する寛容が低い環境の中で、答えは1つであるという教育を受けてきた子がまだまだ多いのだろう。

 デジハリの教育方針は、「自分の判断で自分の人生を作る子を育てる」こと。自分の人生を判断する時に必要なのは情報だ。たくさんの情報を手に入れて、消化して、選択をする。出会ってみてはじめて、自分の道が分かることもある。
 デジタル以前の世界は選択肢が少なかった。今は子どもたちの前に無限の道が広がっている。