デジタルえほん
- 2019.08.19
- ボローニャ・チルドレンズ・ブックフェア
ボローニャ・チルドレンズ・ブックフェアのことを取り上げた番組が先日のNHK中央番審の課題番組として提示され、むかしの写真を取り出してみました。
https://www.nhk.or.jp/docud…/program/4826/1942049/index.html
ボローニャ・チルドレンズ・ブックフェアといえば世界一の児童書見本市。
私は50周年を迎えた2013年にようやく訪問する機会に恵まれました。
というのも偶然にもその前年となる2012年に私たちはデジタルえほんアワードを始め、ボローニャブックフェアは初めてデジタル部門を導入したからです。
なぜボローニャが児童書のメッカになったのか?
ボローニャといえば、幼児創造性教育で有名なレッジョ・エミリアがあるエミリア=ロマーニャ州の州都であり、
ヨーロッパ最古のボローニャ大学もある学問の街だから?
分かるような分からないような。
いぜれにせよこういうのって初めたところがメッカになるんじゃないの?というコトではじめたのが
いまでは世界40カ国の作品が集うデジタルえほんアワードでした。
ところが、その疑問に答えてくれる本が後日出版されたのです。
「ボローニャブックフェア物語」。
この本によるとボローニャは「見本市の町」なのだそうです。
月の半分は見本市が開催されており、そのほとんどが国際見本市。
記録に残る最古の見本市は1196年家畜見本市とのこと。
いまでもイタリア国内の交通網の要でありますが、鉄道や高速道路のない時代からエミリア街道のおかげですでに物流が盛んであったのがボローニャというわけです。そして、ボローニャの戦後復興政策の一環で推進されたのが見本市開発。
1947年にはボローニャ市によってボローニャ見本市独立法人が設立され,1960年には巨大見本市地区を建築する計画を遂行し、確実な収入が見込める見本市の新企画を求め続けていたようです。
戦後のボローニャは百万人都市を目指す都市計画をたてたものの市の人口が40万人を超えることはありませんでした。
そこで大都市ではなく、国際都市を目指すという政策転換がなされたのだそうです。
第1回ブックフェアへの参加団体は44。そのうち外国からの参加は14。
エンツォ王宮殿という歴史ある建物を会場としたことが世界の人を魅了し、急速に拡大していきます。
第2回の参加は初回の倍以上である104カ国から128の団体というから驚きです。
さらにはボローニャと言えば美食の町。ボロネーゼにラザニア。
歴史・文化・芸術・食。そりゃぁボローニャ行きたいですよね。
ブックフェアは当初から版権売買のみならず社会文化的役割を果たすことを目指していました。
それが出版社だけではなく、教育センターやユネスコ、図書館なども参加している理由とのこと。
その点も共感できます。
しかしながら、ブックフェアは何年ものあいだ赤字つづき。
では、商業目的の法人がなぜ続けたのか?それはこのブックフェアがボローニャ市に文化的名声と国際都市の称号を与えてくれたから。
継続は力なり。我々もしつこく続けたいものです。
もちろん、すべてが順調だったわけではありません。
来場者数の増加にともない一般入場が規制されるようになると、
子どものための見本市なのになぜ子どもたちが入れないのか?という市民からの反発が大きくなります。
そこではじまったのが「見本市会場から町に飛び出したブックフェア」という企画。
図書館、児童書専門店、美術館など市内の複数施設で子どものためのワークショップや展示が行われるようになりました。
いまでは毎年恒例の地域行事となっているといいます。
ボローニャ市が一体となり盛り上げているボローニャ・チルドレンズ・ブックフェア。
エンツォ王宮殿の向かいにつくられた児童図書館と5人の女性たちによって立ち上がった児童書専門店も大きな役割を果たしていることを忘れてはいけません。というのも街のイベントの運営をしているのは見本市法人ではなく、児童書専門店なのです。
もしボローニャを訪問される方は、この2箇所も訪問することをおすすめします。
他にも、子どもの審査員、移動児童図書展、先生を対象とした企画などなど、
定着したものもあれば継続しないものもあるようですが、試行錯誤しながら発展してきた様子がとても良くわかります。
そしてそれらは私たちがワークショップコレクションやデジタルえほんアワード開催で悩んだポイントや考えたアイデアと合致しており、
それを50年以上続けていることに共感と尊敬と。
その時に出会った写真のPubCoder、DADAcompanyにはいまもお世話になっています。
さてさて、今年もデジタルえほんアワード開催します。
詳細は近々リリースしますがぜひ作品の準備をお願いします。