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2021.12.19
母校JG

母校の入試模試の大問1つまるまる私の書籍の文章だったらしく、びっくり!そんなコトって起こるのですね(*^^*)

そんな母校が150周年を迎えたらしい。

「あなたたちは自由です。自由であるということは自分で責任をとるということです。」

中学高校時代に毎日のように聞かされた言葉。

制服も校則もない「自由」を校風とした日本初のミッション系女子校で6年間を過ごしました。

自由な校風は、設立当初から。「あなた方は聖書を持っています。だから自分で自分を治めなさい。」という初代校長の言葉が生徒による自治を支えています。

おばあちゃん子だった私が母校を志望した理由は「おばあちゃんが卒業した学校」ということだけでしたが、入学前の学校説明会に参加した母が感動して帰宅したのを今でも覚えています。

「大学受験のためにこの学校を目指している方は、帰って頂いて構いません。ここは大学受験のための教育をする場ではありません。」院長先生が開口一番そう発言されたというのです。

調べ、考え、議論し、発表する機会が多い学校でした。入学して早々に、様々な議論にさらされ、小学校とのあまりの違いにカルチャーショックを受け、12〜13歳の頃の議論だけが妙に記憶に残っています。

親友とはなにか?隣の席の友人が「何もしゃべらなくても一緒にいられる友だち」と即答し、その表現に膝をうったなぁ。

死刑制度をどうとらえるか?「罪と人格は分けて捉えるべきだ」という考え方は当時の私にとって目からウロコだったなぁ。

夫婦別姓賛成の理由は?「周さんと舞ちゃんが結婚するとシュウマイになっちゃうから」そんな例をレポート用紙いっぱい挙げる友人を尊敬したなぁ。

老人ホームでのボランティア活動、広島旅行での被爆者の方との対話、地域の方の聴き語り。体験の機会も豊富でした。

そして、レポート用紙をたくさん使う学校でした。一体何冊のレポート用紙を消費したことでしょう。

地理に関することで何か1つテーマを決めて調べてきなさい、社会で起きている課題から1つ選択し思うことを書いてきなさい。

お題すら自由。提出すら任意のものもありました。

当時、全てに真面目に取り組んだわけではないでしょう。しかしこうやって記憶の片隅に刻まれています。

母校設立に携わった婦人宣教師は女子教育にかけた理想をこのように書き記していたといいます。

「あなた方は女としていかなる理想を持って生きるか。世俗的幸福だけを求めるのでなく、高尚なる志を活かす真の力を養成しなさい。自分のつとめを怠ったり、自分に力があるのに他を助けなかった時、苦痛を感じるような女性になりなさい。一人ひとり、活かされる道や与えられた器は違うが、他人や社会のために働くように」

「女」と限定する必要はないと思うけれど、「一人ひとり、活かされる道や与えられた器は違うが、他人や社会のために働くように」という精神は、在校生・卒業生の中に確実に育まれていたと思います。