デジタルえほん
- 2013.06.13
- デジタルえほんは、やりすぎないことが大事
デジタルえほんアワードインタビューシリーズVol.7
「デジタルえほんは、やりすぎないことが大事」
テレビでの舌鋒、鋭いコメントで誰でもが知っている精神科医、香山リカさんにお話を伺った。
「全部を語り尽くさず、子どもたちや読み聞かせをする大人たちの想像力で補って完成させるのが従来の絵本の特徴。一方で、デジタルメディアはかゆいところに手が届く程の情報量が特徴。その両方が矛盾なく両立できるのだろうか?」と当初は疑問に感じていたという。ゲームの世界でも、今のゲームは完成度が高すぎて、昔のドット絵の方が面白かったという声も多いのだとゲーム好きの香山さんは語る。ドットの荒い絵だからこそ、この人は美少女に違いない!など想像する楽しさがあったというのだ。しかし、今はむしろデジタルえほんの世界に引き込まれていく。「出てくる作品は、こういう解決があったのか!と驚くものばかり。読み手が積極的に関わらないと完成できない作りとなっていたり、デジタルを使うことでよりリアルにコミュニケーションを成立させていたり等、本当は相反するものと思われていたものが、技術とうまく組合わさり新しい表現世界を築いていることに気がついた」という。未完成の部分やアナログな部分に技術を足すことで、完成度が高まった、より味わい深いものになった作品が受賞につながったのではないかと振り返った。
「どの分野でも同じだが、テクノロジーの開発者は先へ先へと進めようとする。脳波に指令を送るなどSFの世界のようなことまで起ころうとしている。そこで、いかに実現するかというよりも、いかにやらないようにするかということが試されている。そこまで大げさな話ではないが、デジタルえほんも、いかにやらないようにするかという観点も大事なのではないか」と審査を通じて感じたという。未完成で荒削りだからこそ子どもたちは一生懸命想像力を働かせてコミットする。その良さをどう活かすかということだ。
テクノロジーが一歩先をいくと、世の中では不安の声、反対の意見もあがる。それに対して、香山さんはどう捉えているのか?
新しいメディアが出てくるということは、単なる技術開発の結果ではなく、人々と社会が無意識の間に要求してきた現れだという。必要不可欠なものとして人間が要請して生まれたという面もあるため、もちろん使わない手はないと主張する。「ゲームをはじめとして新しいメディアと子どもの関係でいうと、デメリットだけではなくメリットも十分に強調するべきである」というのが香山さんの基本スタンスだが、一方的な悲観論も一方的な楽観論もよくないという。
特に、今の「新しいメディア」の登場は、これまでと決定的な大きな違いがある。「ネットにつながる」ということだ。「オフラインの世界では、完成されたバーチャルな世界と自分との関係だったが、ネットは、その先に人がいる。」
デジタルメディアは年齢も立場も関係なくコミュニケーションをフラットにする。良い点でもあり、諸刃の剣でもある点だ。「現実の社会で私が五歳のこどもに「ばーか」と言われても、傷つかないし、「そんなこと言ってはダメよ」と注意することができる。しかし、文字で「ばーか」と5歳の子に書かれると、対等なコミュニケーションになってしまう。」文字の大きさなども変わらないので、年齢や立場を忘れたコミュニケーションになってしまうというのだ。現実の地位と関係なくコミュニケーションがとれるという点で素晴らしいが、たくさんの炎上を引き起こしているのも事実。 問題は、大人もどう対処すればいいのか分からないでいること。
地域のつながりや血縁といった現実のコミュニティが貧しいものになっている中、孤立から救われている人もいるのは事実。育児中の母親。病気を抱えている方。「自分だけではないのだ」と確認するツールになっている事例もよく聞くという。また、言葉でうまく伝えられない方、障害をもっていて喋ることができない方が、メールやツイッター等で表現でき、「はじめて自分の言葉を持った」といっている患者さんもいるという。
「救われている人がたくさんいるのも事実だが、一方で、救われた後にどうするのか?という点が抜けていることが多い。」ネットの中に自分の居場所を見つけたものの、ふと我に返ると、世の中は変わらず自分に厳しく、やはり孤立している。一度救われた分、今まで以上に自暴自棄になってしまう。デジタルの世界の中で培われた自信や自己肯定感が、なかなか現実にフィードバックできない。
「スパークス」という、うつを治すゲームがあるという。「デジタル世界の中で学校に行けるようになった子どもが、実際に学校に行けた」そのような事例が出て欲しい。
2回目を迎えるデジタルえほんアワードでは、絵本の可能性だけではなくて、新しいメディアへの可能性に気づかせてくれる作品も多かったという。
リアルな世界で適応できず、バーチャルの世界で居場所を見つけた人が、リアルな世界でも充足感を持てるきっかけになるデジタルえほんが生まれることを願う。