デジタルえほん
- 2013.06.20
- デジタルえほんという新しいメディアをどう捉えるか
デジタルえほんアワードインタビューシリーズVol.8
「デジタルえほんという新しいメディアをどう捉えるか」
「デジタルえほんアワードは、実に良いタイミングでスタートしたのかもしれない」と水口さんは語る。実は、デジタルえほんアワードを設立した昨年は、タイミングとしては少し早すぎるのではないか?と思っていたという。しかし、1年目より2年目の方が作品の表現の質が格段にあがり、多様性もでてきたのを見て、昨年スタートをして正解だったと認識したとのこと。「これから、もっと表現が豊かになり、面白くなっていくだろう。」表現といっても、文字や音や映像といったコンテンツだけではなく、仕組みや伝わり方なども含めて、コンテクスト自体が変わっていきそうな予兆が今年の作品群から感じられた。「デジタルえほんは、今後メディアとしてのあり方という根本的なところから新しい提案がなされてくるのではないか?」と、今年のアワードの審査で感じたという。
デジタルえほんというのは、いままでにないまったく新しいメディアである。その表現を模索すると同時に、「そもそも絵本の存在意義とはなにか?」というところから問いかけられるのではないかとも指摘する。絵本とは、「絵がついている本」という単純な規定がある。 しかし、これはそもそも誰が誰のために何を伝えたいものなのか?誰にとってのメディアなのか?誰にとっての絵本なのか?ということを考えていくと、また違う見方ができるのではないか、と。
たとえば絵本を、「親が子どもに何かを伝えるメディア、もしくは親と子どものコミュニケーションを円滑にしたり豊かにするために存在するメディア」という見方をしたときに、まったく違う可能性を持ち始めるはずだと水口さんは言う。
「今と昔で人間の本能や欲求に根源的な違いはないにせよ、メディアの発達によって、いままで潜在的にはあったものの、表に出てこなかった人間の新しい欲求のスイッチがONになることがあります。デジタルえほんでいうと、紙という制約がスイッチをONにさせてこなかった潜在欲求がデジタルによって浮き彫りになる可能性があるということ。絵本というものが 「絵がついた本」ということではなく、コミュニケーション手段として変容する可能性があるとすれば、紙という制約から自由になり、デジタルという新しいテクノロジーを使うことで、作り手の想像力によって単に絵が動くということではない、もっと広いメディアとしての可能性があるということが、2年目の発見でした。」
「デジタルえほん」というと冷たい印象、技術が半歩先に出ているような、人間の温かみが抜け落ちているような印象を与える。だからこそ、ネガティブな意見も含めた議論が起こるのだろうと言う。しかし、絵本という「コンテンツ」を進化させるのではなく、絵本という「メディア」を進化させるという文脈で語ると、色々な可能性がすべて肯定される。もちろん、「ぴたっと来る言葉が出てくるまでには時間がかかる。今はまだ「デジタルえほん」でいいのではと思います。」
ゲームというメディアで仕事をなさってきた水口さん。デジタルえほんというとゲームと比較されることも多いが?
「ゲームは、「遊ぶ」メディア。もしそこにストーリーがなくても楽しいゲームはたくさん存在します。デジタルえほんは、ストーリーやメッセージを「伝える」メディア。そもそもゲームとは目的が違いますね。しかし、その伝える過程の中で、読み手が能動的にその物語を紡いでいくなど、ゲーム的な要素がはいってきても何の問題もありません。そして、最近はゲーム性そのものが、空気や水のような存在になってきています。例えば、近年、さまざまな分野で「ゲーミフィケーション」という言葉が使われていますが、ゲームの仕組み、遊びの仕組みがいろいろなものに応用できるのでは?という事例です。ゲーム性というものが、達成感や結束感を高めるスパイスのようなものとして使われることが増えてきています。」
まさに、デジタルえほんを、ゲーム的な要素も入れながら教育の分野にも活かしていくと、子どもたちの学びも大きく変わるのではないか?そもそも情報化社会における子どもたちの学びはどうあるべきなのか?
「子どもたちが自分で発見できる、能動のスイッチを入れる、ということが大前提ではないかと思います。子どもたちも、すでに直感的に多くのことを知っていると思うのです。まだ経験がなく、蓋をされているだけ。それをどうやって能動的に開かせてあげるかが大事かと。「いいから覚えなさい」と人から言われるときと、「これ、自分で覚えたい」と思う時では、子どもたちのアクションはまったく異なりますよね。「○○したい!」という能動的なスイッチが入るような仕掛けを作ることは大事。子どもというのは、一度スイッチが入ってしまえば、自分で好きなことをどんどん吸収していきますから。」
それでは、「主体的に学ぶスイッチ」を入れる為に、デジタルはどう寄与できるか?
水口さんが以前、NHKの「ようこそ先輩」という番組でおこなった「ステキな“未来”の作り方」という授業にヒントがあるのではないだろうか。
この授業の目的は、「自分たちの欲求や夢に気づきを与え、その延長線上に未来を創る」というもの。水口さんによると、自然を除く、世の中にあるものは全て人間の欲求から生まれているとのこと。ハサミも香水も電話も。車も飛行機もコンピュータも、もちろんゲームも。人間には色々な本能や欲求がプリセットされていて、それがわれわれの行動の起因になっている。それがわれわれの「動機」でもある。その「動機」に出会えば、ポジティブに何かを実現していこうという力が生まれてくる。たとえ子どもであっても、同じことだ。
まず、自分の中にある欲求と向き合ってもらう。「自分は、誰々のために、何々をしたい」という欲求を思いつくままに書いてもらう。画用紙に、何枚も何枚も、たくさんの欲求を書いていってもらう。最初は困惑している子供も、最後は止まらなくなるくらいたくさんの欲求が画用紙から溢れていく。同じような思いを持っている人を数名のグループに束ね、指令を出す。ファッションに興味のある子供たちには「未来のファッションを考えてごらん!」。ロボットに興味のある子たちには「未来のロボットを考えてごらん!」という感じだ。自分たちの欲求をもとに、未来を創造させる。人間の夢は、欲求の延長線上にある。この街も家も道路も学校も、人間の誰かに対する思い—つまり誰かに対する欲求や夢が外在化したものだ、と言うこともできる。それに気づいた瞬間に、自分たちも未来を作る一人の担い手になりえるということを意識できるという。授業の中で、担任の先生もビックリするくらい、能動的になっている子どもたちの姿がたくさんあったという。自分の興味がある世界の先に、未来を考えてごらん!と承認された時に出てくる力はすごい。
「僕がしたことは、そのスイッチをONにして、力を引き出す舵取りをしただけ。何も教えてない。場をつくり、方向付けをしただけ。でも、子どもたちの興味の蕾がどんどん開いていくのをみました。」
さて、デジタルえほんにはどのような可能性が開かれているのだろうか?
「誰による誰のための欲求か、によって答えはいくつかあります。1つは、親が子どもに話を継承する際の手段として絵本が存在している、という考え方。もう1つは、逆に、子ども自身が作家となってなにかを表現していく手段として絵本が存在している、という考え方。後者はこれまでの絵本では存在し得なかった考え方でしょう。子どもの発想は、ビジュアル、音、テキストなどに区別ができない、もっとぐにゃっと、もやっとしたイメージとして存在しているはずです。分解されてないイメージというか。その子どもが持っているイメージを表現する手段として、デジタルえほんはとてもおもしろいと思います。もし、子どもたちが、デジタルえほんを作るツールを使いこなしたら、この怪獣がこういう風に火を噴いて鳴くんだよねー、といった、ただの絵では表現できなかったものを表現しようとするかもしれない。しかし、人間は、まだ元々の、境目のないぐにゃっと、もやっとしたイメージを伝達するための表現メディアを、まだ手にしていません。頭の外にイメージを出すとき、人間はいつも映像、音楽、テキストに置き換えています。伝達のためにイメージを分解してから表現する時代が長く続いてきた訳です。そこで、もし色々なものが交差した共感覚的な表現をする手段があったらどうなるだろうか?これまでにはなかった新しいイメージの回路が子どもの時からできあがったら、どんな大人になるのでしょうね?」
人のイメージや能力をもっと拡張していくのがデジタル技術。しかし、「そのデジタルの可能性の90%以上がまだ開かれてない。」と水口さんは言う。「今後、教育に一番大きな影響を与えるのは、クラウド(集団)の力だと思います。叡智や経験が、時間や空間を超えて、未来に継承され、共有されていく。」データは言語の壁も超えていく。母国語から自由に色々な言語にすることができる。ネットで常に世界中とつながっていける。デジタルのすごさはそこにある。「あっという間にいろいろな壁を「超えていく日」が来ると思う。そうなると、話せる相手が、隣の机の子、隣の教室の子から、国境の向こうの子に広がって行く。つながることのマイナスの影響を議論する必要もあるだろうが、その環境をつくること自体は悪いことではないはずです。」
水口さんは、「まず、プラスの可能性を考えるべきだ。」と強調する。プラスに活用できる方法を最初に考えよう、と。その中に何か強烈に信じられるものがあれば、マイナスの影響は乗り越えて、前に進んで行けるはずだ。最近は、大学生と話しても、「傷つけられたくない」「非難されたくない」とか、「マイナスばかり気にして苦しんでいる子が多い。」という。「もっと能動のスイッチを入れたほうが人生はおもしろくなる、と身をもって体験できる人が増えれば、日本も世界も変わっていくはずですよね。」