超教育協会

2021.04.20
これからの大学・大学教育のあり方

私大連盟で、学長たちに囲まれ、なぜか私がキーノートスピーチをする役割を頂戴しました。

下記のようなお話をしました。

■デジタルファースト・オンラインファースト

私が所属するKMDは、これまで講義と入試はキャンパス対応必須でしたが、コロナ禍においてそれもオンラインとなり、キャンパスに行く必要が全くなくなりました。KMDはリアルプロジェクトを重視しており、社会で学び、研究し、実装していくプロジェクト型学習が基本です。まちじゅうをキャンパスにすればよく、固定の場所にキャンパスを設置する必要性を感じません。しかし、それらを実現することは現状の制度では難しい。キャンパスがなければ大学をつくれません。体育の授業がなくとも体育館が必須。オンライン図書館も認められず紙の本がある図書館が必要。いま考えると誰になんの利益をもたらすルールなのか不明なものも多数見受けられます。これまでの対面・リアル講義前提で組み立てられてきた各種規制を一度すべて廃止し、オンライン・デジタル前提の制度につくりなおす必要があり、教育DXに向けいまこそそれをすべきではないかと考えます。世界中で注目を集めるミネルバ大学のような大学は日本の制度ではつくれない。ですので、ミネルバ大学のアジア拠点はソウルにつくられました。このままでは、日本の大学は国際競争力を発揮できません。

■大学に求められること

いま大学の競争力と存在意義が求められています。国際社会を生き抜く力の育成、リベラルアーツ教育など、これまでも多くのことが大学に求められ、そしてそれにこたえてきました。しかしいま教育の中身と方法の変化が求められています。中身でいうと、Society5.0を迎えようとしている今テクノロジー変化による対応としての超スマート人材育成と、平成時代の没落ともいわれる30年の反省を踏まえての社会経済からの大学への要請としての職業訓練が求められている。企業のOJTが成立しないいま大学に今まで以上に大きな役割が求められています。今までは4年間でリベラルアーツを学び、企業で叩き込まれていたが、大学卒業したら即戦力であることを期待されています。

また、学び方の変化も求められます。

・生涯学習時代に突入する中で、高校卒業からの4年間学ぶという制度が相応しいのか?

・オンライン学習の場の拡大する中で、1つの大学で学ぶというのが相応しいのか?

という疑問も生じます。

私がはじめてMITに足を踏み入れた2001年にはOCWは始まっていました。そして、ビルゲイツ氏が2010年に、「5年以内に世界最高の講義はネットで無料で受けられるようになる、どこか1つの大学で学ぶよりずっといい」と発言しました。昨年、グーグルは、大学に相当するオンラインの教育コースを設立し、コース修了者を大卒と同等に扱うと発表しました。

そんな時代において大学はどうあるべきなのか?が問われています。

いつでもどこでも学べる環境。いつでもというのは「1日の中」ではなく、「人生100年の中」、どこでもというのはコロナによる分散しろという要求によりどこに住んでいようとも、いつでもどこでも学べるようにしろという社会的要請があるわけです。

■超教育と超大学

初等教育の情報化にこれまで尽力をしてきましたが、私はSociety5.0を迎えるにあたり、新しい教育「超教育」を構築したいと考え、2年前位に超教育協会というのを設立しました。

IoT、ブロックチェーン、AIなど超スマート技術は、教科、試験、学校など、学びの内容・環境・評価を問い直す変化をもたらす可能性があります。

教科面ではAIが教科を横断する超個別学習を実現するでしょう。そのためのカリキュラム再編成も求められます。それは検定や学習指導要領の内容や存在を問うことになり得ます。

また、ブロックチェーンで学習履歴を全て蓄積することで、試験をする必要がなくなるでしょう。入試のあり方を問うことになります。

そうした変化により、学年や学校など教育機関の枠を超える学習環境をデザインすることができるようになるでしょう。学校制度のあり方自体も問うことになり得ます。

大学も同じ。昨年からは、AI、IoT、ビッグデータ、デザイン思考、イノベーションマネジメントなど、次世代の経営に必須な知識を、大学の枠を超えた日本を代表する講師陣が伝授する 「超大学」を開講しました。

超教育は学びの内容・環境・評価を問い直す変化をもたらす可能性があるといいましたが、その3つに合わせて、どんなことを超大学で実現したいかと考えているかというと

それはこのページに書きました。

ブロックチェーン×教育

そんなことを実現したいと考えています。

この仕組があれば個別大学はいらなくなるのではないか?と思うのです。少なくとも卒業証書より学習履歴の時代に入りつつあり、世の中はこちらの方向に動きつつあると思います。

■大学が提供する価値

その一方で、「大学がなくなるのか?」というとそうはならないでしょう。

では大学に求められることとはなにか。まず必須なものとしての「場」と「コミュニティ」があると思います。

そのキャンパスだけでできること。ビルでなくても構わない、その街でも良い。リアルの場所の価値を提供しなければなりません。

もう1つがコミュニティです。その大学だけがもっている人的ネットワーク。それが求心力となります。

しかし、場とコミュニティだけであれば大学である必要はありません。そこから新しい価値を生み出していくことに大学の存在意義があります。

場+コミュニティ→価値創造

価値とは、社会を先導するビジョンだったり、科学的知見であったり、もしくは社会ニーズに対応するプログラムの提供であったりするでしょう。

その3つがあれば続くし、なければ続かない。知識を伝達する授業だけならオンラインで代替されるわけです。

その点ではメディアラボは非常に参考になりました。まずリアルな場に理想的な学びの場、創造の源泉があると感じました。オープンでデザイン性の高い空間。ひらめいたらすぐに作ることができるおもちゃ箱のような環境。ここでしか手に入らない環境が整備されていました。

またメディアラボが持つコミュニティこそが求心力であると感じました。性別も年齢も出身も専門分野も多種多様で、世界一を誇る深い専門性コミュニティ。産学連携の成功モデルでもあり、世界中の200近い企業や政府機関、国際機関が年間2000万円以上のスポンサーとなり、ともに研究をしていました。学生は授業料がタダというだけではなく、給与までもらって、学び、研究していました。その代わり、競争が激しく、新しい価値をスポンサーに対して生み出さなければ退場です。教員も新陳代謝が常にあり、変化の速さを感じるラボでした。

そして技術と社会との接点を常に模索する活動。つまり産学含む幅広い専門性と多様性を誇るコミュニティが魅力でした。

またデジタルの未来社会のビジョンを打ち出し続けていました。しかし振り返ってみればクローズドなコミュニティでもありました。そこにオープンイノベーション視点をいれるとさらによかったのではないかと思います。

150年間教育は変わらなかったと言われますがいまその転換期に差し掛かっています。コロナという外圧により改革の機運が生まれています。このチャンスを活かせるか否かに教育の未来はかかっていると感じています。

というわけで超大学すすめないと。